この日記のはてなブックマーク数
  • |
  • 編集 --年--月--日--曜日
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • |
  • 編集 2008年01月09日水曜日
     Ⅰ種採用試験に関する研究会報告書 平成16年12月・・・人事院頁。「外務公務員採用Ⅰ種試験」という名称が用いられている。
     日本官僚制総合事典: 紀伊國屋書店BookWeb 

     

    氏名

    経歴


     昭和43年8月合格 

    藤 一郎

     昭和43年8月外務公務員採用Ⅰ種試験合格慶大経退、昭44慶大法退(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)、慶大経退昭和44年外務省入アジア局参事官官房会計課長駐米公使、米国公使(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)、平11年8月北米局長就、北米局長(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)、外務審議官(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)、外務審議官(経済)就スイス大使平成17年1月ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使就

    谷内正太郎

     (昭和37年3月富山中部高卒、)昭和43年8月外務公務員採用Ⅰ種試験合格昭和44年3月東大院法学政治学研究科修了昭和44年4月外務省入昭60年1月条約局法規課長昭60年12月11日条約局法規課長昭62年8月在アメリカ合衆国大使館参事官平4年5月人事課長平4年7月人事課長平6年9月条約局参事官平6年12月8日官房外務参事官平7年7月官房審議官平成7年外務省条約局審議官就平成8年7月在ロス・アンジェルス日本国総領事館総領事就平11年8月から官房付平成11年8月外務省条約局長就平11年8月31日条約局長就平成13年1月外務省総合外交政策局長就平成14年10月内閣官房副長官補就平成17年1月事務次官就

     昭和44年9月合格

    薮中三十二

     大阪府立住吉高18期昭和44年阪大法退阪大退昭和44阪大法卒昭和44年外務省入昭和44年9月外務公務員採用Ⅰ種試験合格(、昭和45年外務省上級入)、昭和48年コーネル大卒昭48在大韓民国大使館二等書記官昭56一等書記官就昭58在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官昭61経済局国際機関第二課長昭62北米第二課長平3在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部公使平8官房審議官平8審議官(総括担当)就平9アジア局審議官就平10シカゴ総領事館総領事就平14官房審議官就平14アジア大洋州局長就平成17年1月審議官(経済担当)就平19年1月外務審議官(政務)就阪大客員教授早大講師

    西田 恒夫

     旧ソ連時代の在モスクワ大使館に「ルーブル委員会」という裏組織があり、それを使って西田恒夫外務審議官や原田親仁欧州局長、松田邦紀ロシア課長が不正蓄財に手を染めていた-と糾弾。
     しかも、西田氏らが得たカネの原資は旧ソ連時代の秘密警察「KGB」の資金だった、というのだ。「敵に弱みを握られた人物に外交を任せていいのか?」と宗男氏は指摘するが、この記述が事実ならば確かに由々しきことだ。


     安倍政権の外交政策を陰で徹底批判していた西田恒夫・前外務審議官(政治担当)が就任1年余りで更迭され、1月に駐カナダ大使に転出した。西田氏は親しい記者と頻繁にオフレコ懇談を行い、政権批判を繰り返したが、昨年11月、それが「週刊現代」ですっぱ抜かれたのが致命傷だった。
    「安倍さんはゴーマンになっているな。塩崎(官房長官)もいずれ行き詰まるだろう。最初は清新なイメージがあったけど、彼は独善的で霞が関に評判が悪い。調整などできないからね。首相補佐官会議など、安倍チームが青臭い主張をしているので僕は出席するつもりはない。特に世耕(首相補佐官)はバカだ」、「池田大作は金正日と一緒だ。北朝鮮のマスゲームも学会を真似たらしいね」、「盧武鉉(韓国大統領)は変わり者なので、正直、相手にはしたくない。来年まであの政権はもたないんじゃないか」――。
     この発言が報じられた後、鈴木宗男・衆院議員が外務省に発言は事実かと質問趣意書を提出したが、外務省側は、平然と「御指摘のような発言が行われた事実はないと承知している」と回答した。だが、外務省担当の霞クラブ記者団の多くは直接西田氏から同趣旨の発言を聞いており、むしろ誰が「週刊現代」にリークしたかが話題になった。「発言内容自体は100%事実。自分も同じことを聞いている」(霞クラブ担当記者)からだ。
     外務省ナンバー2だった西田氏は、省内の実権を握る谷内事務次官率いる「谷内チーム」から外され、記者団を相手に関係者を批判して憂さを晴らしていたらしい。そのたびに「極秘」と書かれた記者団のメモが霞が関や永田町をメールで回っており、公表は時間の問題だった。高級官僚としては考えられない脇の甘さである。
     通常、政務担当外務審議官は実務交渉の最高責任者。世界各地を回って外交攻勢の先頭に立つ枢要ポストだ。これに対し、外務事務次官は東京に腰を据えて全体を統括するのがこれまでの日本の外交スタイルだった。
     ところが安倍政権では、首相の懐刀となった谷内次官が前面に出て、米中ロ韓との次官レベルによる「戦略対話」を推進。安倍首相の中国・韓国電撃訪問や、最近の日ロ関係修復もタフネゴシエーターといわれる谷内次官の功績だった。この間、西田氏は交渉プロセスから外され、フラストレーションが溜まっていたようだ。

    西田前外務審議官の「幻想外交」のツケ

    「外務省唯一の切れ者」、「次期次官候補」といわれた西田氏が安倍首相から遠ざけられたのは、昨年7月、北朝鮮のミサイル実験への対応が契機だった。国連安保理決議の採択で、当時官房長官だった安倍首相が厳しい制裁決議案を米政府と組んで主導したのに対し、西田氏は制裁を伴わない穏健な決議案でまとめようとし、官邸の足を引っ張った。北朝鮮の脅威への危機感が希薄で、国民意識からずれていたのだ。
     西田氏の外交資質は、2、3年前のわが国の国連安保理常任理事国入りをめぐる外交活動でも疑われた。西田氏は総合政策局長時代、安保理改革の先頭に立ち、中国に対抗して第3世界への多数派工作を指揮したり、ドイツ、ブラジル、インドと結束した。
     だが、西田氏は最大の同盟国・米国を事前に説得できず、結局、米国も安保理拡大に反対した。小泉前首相の靖国神社参拝に反発した中国の反対工作も予想以上だった。米中の同調を得ずに多数派工作を進めても失敗するのは自明の理だった。案の定、常任理事国入りは無残な失敗に終わったが、西田氏の「幻想外交」のツケは大きい。多額の国連工作資金はムダになり、アフリカなどに約束した政府開発援助(ODA)のばら撒きが今後、税金から拠出されていく。
     外務省は2007年度予算で、アフリカのマリ、ボツワナ、マラウイなど6カ国への大使館新設を取り付けたほか、今年度の定員も32人増加する。5年間で国家公務員5.7%の削減を目指す政府方針との整合性が問われよう。今年度のODAは5300百億円で、前年度比12.1%も増加する。破綻した「西田外交」のツケを国民が被るといっても過言ではない。

    “更迭”しても利権ポストを用意

     理解に苦しむのは、懇談の場とはいえ、政権を真っ向から非難した高級官僚の左遷先が、駐カナダ大使というおいしいポストである点だ。通常、民間企業で経営陣を真っ向から非難し、スキャンダルに発展した場合、懲戒免職を含め厳しい処分が科される。ところが外務省では、更迭されても、G8(主要8カ国)の大使という利権ポストが用意されるのだ。
     西田氏自身、これほど政権を批判した以上、潔く辞任すべきだった。辞職した上で、記者団との懇談ではなく、堂々とメディアに登場し、論壇で安倍批判を開陳すべきだろう。大使ポストを提示され、ホイホイ受けるようでは、人格が疑われるといわざるをえない。
     西田氏のもう1つの問題点は、2年ほど前、子息を外務省に入省させていることだ。子息はキャリア外交官として入省し、国際法局に勤務しているという。
     多くの民間企業は、親が勤務している期間中は子弟の就職を禁じている。親子の情実や馴れ合い、ネポティズム(縁者びいき=閨閥主義)体質を防ぐのが目的であり、その厳しさが企業の競争力につながっていく。
     ところが外務省では、伝統的にキャリア外交官の二世や三世、甥や姪が次々に入省。高級外交官が自分の娘を若手キャリア外交官と結婚させるといった、血縁と閨閥のネットワークがアメーバのようにはびこっているのである。
     毎年20人程度のキャリア外交官が入省するが、平成に入ってからも外交官二世はそのうち毎年1~4人を占めている。外部からは調査が困難な甥や姪も相当数入っているはずだ。
     この問題は以前、国会でも論議され、01年度から従来の外交官試験を廃止、一般の国家公務員の採用試験と一体化された。それでも西田氏の子息のように、毎年二世、三世の入省が続いているのだ。
     霞クラブ記者は言う。
    「かつての外交官試験は、国際法や外交史など一般公務員試験にはない科目が多く、語学も高いレベルが要求された。しかし、公務員試験への一本化で、逆に受けやすくなった。公務員試験に合格しさえすれば、あとは縁故採用に道が開かれる」
     外務省は「毎年20人程度採用するうちの1割前後なら、常識の範囲内だ」と主張するが、すでに述べたように大手民間企業では考えられない話だ。外務省はまた、「父祖と同じ仕事を選ぶことは志の継承につながる」と強調する。しかし、閨閥や血縁の蔓延が日本外交の惰性や堕落、外交官の利権漁りにつながっている現状も注視すべきだ。
     かつて、外務省のドンといわれた小和田恒・元外務次官の娘の皇太子妃・雅子様が外務省試験を受けた際、面接官のほうが緊張して震えたというエピソードがある。採用に際しては、幹部の子弟が優遇されている疑いが濃い。閨閥の維持が、外交官を志望する一般家庭の有能な若者の未来を阻み続けているのである。


     在ロサンゼルス日本国総領事 西田 恒夫
    2000年8月


     西田恒夫(にしだつねお)
    カナダ国駐箚特命全権大使
    生年月日:昭和22年4月1日生
    昭和 44年 9月 外務公務員採用上級試験合格
    45年 3月 東京大学法学部第三類卒業
    4月 外務省入省
    56年 6月 在ソヴィエト連邦日本国大使館 一等書記官
    61年 8月 欧亜局東欧課長
    62年 8月 条約局法規課長
    平成 元年 8月 在アメリカ合衆国日本国大使館 参事官
    4年 8月 大臣官房報道課長
    5年 8月 欧亜局ロシア課長
    6年 8月 大臣官房外務参事官兼欧亜局
    8年 8月 大臣官房審議官兼経済協力局
    10年 4月 大臣官房審議官兼内閣審議官
    10年 7月 大臣官房審議官(総括担当)
    11年 8月 在ロス・アンジェルス日本国総領事館 総領事
    13年 3月 経済協力局長
    14年 9月 総合外交政策局長
    17年 8月 外務審議官
    19年 1月 現職


     國民新聞(平成16年3月)対露関係打開へ 外務省人事替え

     外務省は3月のロシア大統領選後の第2期プーチン政権を睨み、対露態勢を固めている。小泉首相が対露関係打開を重視しているためだ。
     ロシア専門家でない小松一郎欧州局長は、ロシア課長を務めた原田親仁駐中国大使館公使と交代し、小寺次郎駐オーストリア大使館公使は欧州審議官になる予定。
     ロシア課長も2月1日付で、上月豊久氏から松田邦紀氏に代わった。
     近く司令塔の西田恒夫総合外交政策局長以下、原田―小寺―松田というラインになる。


     國民新聞(平成14年6月)鈴木宗男の「二島分離論」に疑義

     3月10日、衆院の「証人喚問」で、民主党の上田清司は外務省の内部文書を示して鈴木に質した。文書は「秘 無期限」(平成7年6月13日付)のものだが、同省は今回の調査で秘密
    指定を解除し公表に踏み切った。内容は鈴木と西田恒夫欧亜局参事(当時)とのやりとり。
     色丹島にプレハブ診療所を建設するに当たって、固定物を造ることに反対する西田に鈴木は「そもそも北方領土問題というのは、国の面子から領土返還を主張しているに過ぎず、実際には島が返されても、国としては何の利益にもならない」と発言しているのだ。国益を無視した発言である。


     外務省の中畜たち その2 - 松浦淳のブログ - 楽天ブログ(Blog)

     <外務省>西田審議官を大使に転出 「事実上の更迭」か
     外務省は6日、西田恒夫外務審議官(政治担当)を来年1月にカナダ大使に転出させ、後任に薮中三十二(みとじ)外務審議官(経済担当)を充てる人事を固めた。就任から1年4カ月という短さに加え、北朝鮮のミサイル問題での首相官邸との意見対立が取りざたされており、政府内には「事実上の更迭」との見方も出ている。
     西田氏は70年入省。総合外交政策局長などを経て05年8月、田中均氏(現日本国際交流センターシニア・フェロー)の後任として政治担当の外務審議官に就任した。北朝鮮のミサイル発射(7月)をめぐる国連安全保障理事会の非難決議問題で慎重な対応を求めたため、当時官房長官だった安倍晋三首相との関係が悪化したとされる。
    (毎日新聞) - 12月6日17時54分更新


     大島信三さんの「大島信三のひとことメモ」(2007年01月17日):イザ!

     きのう、外務省の幹部人事があった。そのなかで注目したいのは、政治担当の西田恒夫外務審議官が駐カナダ大使に転出し、その後任に経済担当の藪中三十二(やぶなか・みとじ)外務審議官が横滑りする人事。外務省で「外審」と呼ばれているこのポストは、じつに重い。政治担当と経済担当のどちらもきわめて重要だが、無理にその軽重を比較すれば、やはり前者が重い。おそらく、この人事には、安倍晋三首相の意向が反映されているにちがいない。
     けさの産経新聞は、「西田氏は北朝鮮のミサイル問題で首相官邸との対立が取りざたされ、異例の大使転出となった」と報じている。西田氏については、まったく面識がないが、最近読んだ手嶋龍一・佐藤優両氏の対談本『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎)のなかで、ラスプーチンこと佐藤氏が、西田氏についてつぎのように述べていた。
     「いずれにしても、深刻なのは外務省に役者がいないことです。ズバリ問題をいえば、外務省事務方のナンバー・ツーの政務担当外務審議官の西田恒夫さんですよ。西田さんがまったく機能していない。外務審議官はすべての汚れ役となって、総理や外務大臣が活躍できる環境を作らなければいけないんです」
     かつて機能しすぎた外務審議官経験者もいて物議をかもしたが、機能しないのも困る。西田氏からバトンを受け継ぐ藪中氏は、拉致問題を担当して、国民にも広く知られている。安倍さんの信頼はあついはずだ。藪中氏はいかにも温厚な紳士のようにみえて、なかなかのタフネゴシエーター。安倍さんもまた、一見ソフトだが、けっこう芯は強い。仲良しクラブ的な面を指摘する向きもあるが、それのみで世の中が通用するはずもない。人事への目配りは、小泉純一郎前首相よりこまやかで、これからも要所要所で安倍色が強まっていくと思われる。


     「安倍首相は傲慢」発言で更迭か…外務省の西田恒夫審議官 | Japanese JoongAngIlbo | 中央日報

     日本外務省の西田恒夫審議官(政治担当)が就任1年余りで更迭、カナダ大使として転出されると日本メディアが6日、報道した。
    外務審議官は外務官僚のうち事務次官に続く「ナンバー2」のポストで定期人事によらない転出は非常に異例的だ。
    一部のメディアは西田審議官が7月、北朝鮮のミサイル発射以後、慎重な対処を主張し、汎政府次元の強硬対応策と見解の違いを表した点が更迭の原因になったと報道した。
    しかし本当の更迭の背景は西田氏が安倍晋三首相に対し、しんらつな批判を浴びせた点にあるというのが外務省内外の衆論だ。
    特に先月、週刊誌に掲載された彼の発言内容が決定的なきっかけとなったというのだ。週刊現代(11月11日号)の報道によると西田氏は10月初め、何人かの記者との懇談会で「オフレコ」を前提に「安倍は傲慢だ」「首相補佐官会議は『安倍チーム』が『青年の主張』をしているので私は参加したくない」と述べた。
    一方、西田氏の後任には対北強硬派で安倍首相の信任が厚い薮中三十二審議官(経済担当)ら2人が挙がっている。
     東京=イェ・ヨンジュン特派員
    2006.12.07 11:07:54


     【平成18年12月8日(金)】 〈 外遊日程詳報 〉 - 官 邸 日 記 - Yahoo!ブログ

     【 西田恒夫外務審議官(政治担当)、カナダ大使に ?! 】

    外務省は、来年1月に西田恒夫外務審議官をカナダ大使に転出させ、後任に【 藪 中 】三十二外務審議官(経済担当)を充てる人事を固めた。

    西田外務審議官は、平成17年8月就任、わずか1年チョットでの交代となる。

    西田氏は、昭和45年に東大卒後、外務省入省。ロサンゼルス総領事やロシア課長、経済協力局長などを経て総合外交政策局長から外務審議官(政治担当)に。

    後任の政治担当外務審議官となる【 藪 中 】氏は、昭和44年 阪大中退し入省。平成14年末にアジア大洋州局長就任し日朝交渉担当、昨年には経済担当の外務審議官就任。

    今回の人事、『 西田審議官、(安倍)総理批判 !! 』との週刊誌報道を根拠に鈴木宗男代議士が、質問主意書を提出した件でもお分かりのように、「ソーリ」と西田氏「 ソ リ 」があわなかったようだ。

    今年7月、北朝鮮ミサイル発射時、国連安全保障理事会決議の取りまとめで慎重な対応を求めたことで当時の安倍官房長官(現総理)と対立。

    総理の信頼が厚い谷内正太郎 外務事務次官は続投、同じく総理と官房長官時代より北朝鮮外交に関わってきた【 藪 中 】氏は昇格からすると、表向き大使栄転だが、事実上の「更迭」かも。

    まぁ、真相は【 藪 の 中 ?! 】ですが・・・・・。


     中国大使に飯村氏起用 外務審議官には西田氏--人民網日文版--2005.07.02

    【外務審議官(政治担当)】

    西田 恒夫氏(にしだ・つねお)東大卒、70年外務省に入り、ロシア課長、ロサンゼルス総領事、経済協力局長などを経て、02年9月から総合外交政策局長。58歳。

    「asahi.com」 2005年7月2日


     大使へ転出…西田外務審議官“更迭” : ニュース : ジョブサーチ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

     麻生外相は5日、西田恒夫外務審議官(政治担当)(59)を来年1月に大使に転出させる人事を内定した。

    官邸との折り合い悪く
     転出先はG8(主要8か国)メンバー国が有力だ。2005年8月の就任から1年あまりしかたっていないことに加え、最近の安倍首相の外国訪問同行団から外れていたことから、政府・与党内では「事実上の更迭」との見方が出ている。
     西田氏はこれまで、ロシア課長、経済協力局長、総合外交政策局長などを歴任。7月に北朝鮮がミサイルを発射した際、国連安全保障理事会決議の取りまとめで「弱い対応をとった」(政府筋)ことが安倍官房長官(当時)の不興を買ったとされる。安倍政権発足後は、首相官邸との折り合いの悪さが指摘されていた。
     11月には、西田氏が記者との懇談で首相批判をしたとする週刊誌報道があり、鈴木宗男衆院議員が質問主意書を提出した。
    (2006年12月5日 読売新聞)


     Special
    2007年7月26日 第30号 掲載
    西田恒夫在カナダ日本国全権特命大使インタビュー
     今年3月に着任して3カ月の西田恒夫全権特命大使。

    西田恒夫全権特命大使
    1970年外務省入省
    1999年在ロサンゼルス日本国総領事館総領事
    2001年経済協力局長
    2003年9月総合外交政策局長
    2005年8月外務審議官(政治担当)
    2007年3月現職に着任
    59歳。東京大学卒。東京都出身


     News Flash:事実上更迭の西田外務審議官 対北朝鮮で対立 首相の目障りに 
     政府が十六日、西田恒夫外務審議官(政治担当)をカナダ大使に事実上更迭した背景には、昨夏の北朝鮮ミサイル発射を受けた国連安全保障理事会の非難決議をめぐる、当時官房長官だった安倍晋三首相との対立があったとの見方が強い。支持率挽回(ばんかい)に向け、外交政策に力を入れる首相や周辺にとって、西田氏は「目障り」(外務省筋)だったようだ。

     政治担当の外務審議官は、事務次官に次ぐ外務官僚のナンバー2。秘密主義の殻に閉じこもりがちな外務省内で、西田氏は「歯に衣(きぬ)着せぬ物言い」(同省幹部)で知られていた。

     しかし、昨年七月の国連決議をめぐっては、現実的な落としどころを模索する西田氏と、強硬姿勢の首相官邸が対立。以来、官房長官だった安倍首相との折り合いの悪さを指摘されるようになった。安倍政権発足直後の首相訪中、訪韓同行から外れたことも、首相との確執が原因とみる向きが多かった。

     昨秋には、西田氏が非公式な懇談で発言したとされる、首相や首相補佐官らを批判する内容のメモが流出し、一部週刊誌で報じられたことも。首相の信頼が厚い谷内正太郎事務次官が続投し、三年目に入るのとは対照的な結果となった。
    北海道新聞 政治


     『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu | 日本外交が静かに方針転換を始めている
     7月3日付けの各紙朝刊で、外務省の幹部人事が、小さく載っている。
    阿南中国大使の後任に、飯村豊インドネシア大使
    田中均外務審議官の後任に、西田恒夫総合外交政策局長
    西田恒夫総合外交政策局長の後任に、河野アフリカ審議官

    マスコミは、外務省の発表そのままを垂れ流して、順調人事と書いているが、

     中国大使に、チャイナ・スクールでは無い、飯村氏を、しかも、この対中関係が険悪な状況で、持って来る理由は何か?飯村氏は田中真紀子外相当時の外務省官房長で、安倍晋三氏、小泉氏と一緒に、田中真紀子氏に詰め腹を切らせる裏方を務めた人物だ。
     阿南氏が、今回の、日中の不信の増幅を、裏で仕組んでいるのは、これまでに、ODA ウォッチャーズが指摘している所だ。「靖国」問題の最強硬派の一人だ。中国大使が、中国と日本の摩擦を増長させる報告を行ってきたのだ。
     つまり、明らかに、中国関係を、白紙から、清和会人脈で、やり直す腹だ。

     西田恒夫氏は、順当な事務次官レースの準備席に着いたことになる。経済協力局が、やはり、清和会の利権であり、清和会は、伝統的な外務省利権を、当然、保持したことになる。

     河野アフリカ審議官については、ODA ウォッチャーズは、良く知らないが、川口氏・緒方氏のラインか、或いは、きっと、有能なのであろう。


     日出処の民 『伏魔殿』改革劇場の開幕
     ◆西田審議官が「更迭」へ 総政局長に河相氏で調整
     政府は5日、外務省の西田恒夫外務審議官(政務)が来年1月に大使に転出し、後任に藪中三十二外務審議官(経済)が横滑りする人事を固めた。西田氏は7月の北朝鮮によるミサイル発射を受けた国連の非難決議をめぐり慎重な対応を求め、官邸サイドと対立した経緯などがあり、政府内では事実上の「更迭」との見方が強い。

     藪中氏の後任には河野雅治総合外交政策局長を充て、河相周夫北米局長が総合外交政策局長に就任する方向で調整している。また、河相氏の後任には西宮伸一駐中国特命全権公使の起用が浮上。谷内正太郎事務次官は当面続投する見通しだ。

     藪中氏は経済関係が専門分野だったが、アジア大洋州局長当時に首席代表として北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議に臨んだ実績や、日朝協議での「毅然とした態度」(政府筋)が評価されたとみられる。

     西田氏はロサンゼルス総領事、経済協力局長などを経て、昨年8月から外務審議官。
    ソース:徳島新聞(12月05日 19時29分)
    http://www.topics.or.jp/Gnews/news.php?id=CN2006120501000562&gid=G02


     “更迭”された外務省の次官候補 [ゲンダイ] white
     http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/1103.html
    投稿者 white 日時 2006 年 12 月 10 日 17:19:53: QYBiAyr6jr5Ac

    □“更迭”された外務省の次官候補 [ゲンダイ]

     http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2837607/detail

    “更送”された外務省の次官候補

     新聞各紙は「事実上の更迭」と書きたてたが、何があったのか。

     政府は外務省の西田恒夫審議官(59=政務)を来月1日に大使に転出させることを決めた。政務審議官といえば、事務次官に次ぐポスト。事実、西田審議官もこの間まで「谷内次官の後継の最有力候補」といわれてきたエリート。それが、出世コースをはずれ、大使に“追い出される”のだから異例だ。

     西田審議官といえば、懇談の席などで酒が入ると、口が軽くなり、“放言”することで有名。安倍総理が電撃的に中国を訪問した直前の10月6日にも親しい記者たちを前に安倍政権を痛烈に批判している。

    (安倍さんはゴーマンになっているな。塩崎もいずれ行き詰まるだろう。……首相補佐官会議など、僕は出席するつもりはない。あそこは『チーム安倍』だからね)

    (外交でまったく実績もない小池百合子が安全保障担当の首相補佐官に選ばれたのも、まったく理由がわからない。不思議だ)

    (首相補佐官に抜擢されていい気になっているが、世耕はバカだな)

     こんな調子のオフレコ発言をしたそうだが、それが週刊誌に大きく書かれて安倍官邸はだいぶカチンときていたらしい。 これが「更迭の引き金」という声が強いが、それでは大人げないから、政府関係者は「国連決議の行き違いが原因」と言いふらしている。7月の北朝鮮によるミサイル連射事件で、当時の安倍官房長官は外務省の尻をたたいて、国連で制裁決議を急がせた。結果的には、これが総裁レースの行方を決定づけたのだが、西田審議官は制裁決議に慎重論を唱え、それが官邸の逆鱗に触れたのだという。

    「それは、おかしい。アメリカはボルトン国連大使を飛ばし、強硬外交路線を修正しようとしている。北朝鮮に対して制裁一辺倒の日本は、アメリカにもハシゴをはずされている。結果的に『慎重論』が正しかったのです。谷内次官をはじめ、外務省は安倍首相にゴマをすってばかりですが、いろいろな考え方があった方が健全なのです」(元レバノン大使・天木直人氏)

     気に食わないヤツは追い出す――。安倍首相の度量の狭さを見せつけた危険な更迭劇だ。

    【2006年12月7日掲載】


    2006年12月10日10時00分



     昭和45年9月合格

    海老原 紳

     昭和45年9月外務公務員採用Ⅰ種試験合格昭46年3月東大法退東大法退、昭46東大法退(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)、東大退昭46東大法卒昭46年4月外務省入昭46外務省入平9年8月官房審議官兼条約局平10年7月内閣総理大臣秘書官平12年7月在アメリカ合衆国日本国大使館公使平13年1月条約局長平14年9月北米局長北米局長平17年1月内閣官房副長官補平17年1月内閣官房副長官補就、内閣官房副長官補(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)、平18年3月駐インドネシア大使就、インドネシア大使(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)

     昭和47年8月合格

    河野雅治

     昭和47年8月外務公務員採用Ⅰ種試験合格昭和48年東大法卒昭48東大法卒昭和48年外務省入昭48外務省入1948年生まれ。1973年に東京大学法学部を卒業と同時に外務省入省。1989年にアジア局南東アジア第一課長、その後、内閣官房で加藤・河野・竹村3氏の国務大臣秘書官を経て、1994年に北米局北米第一課長に就任。以後、1996年に在ロンドン日本大使館総領事、1998年に在アメリカ合衆国日本国大使館公使、2001年に在ロサンゼルス日本総領事館総領事、2003年に中東アフリカ局アフリカ審議官、2005年に総合外交政策局長を歴任の後、2007年1月から外務審議官。現在に至る。南東アジア一課長平12年1月18日アジア局審議官平12年8月8日アジア局参事官アジア局参事官平13年4月から平15年6月まで在ロサンゼルス日本国総領事平14年5月在ロサンゼルス総領事平14年7月25日渋沢栄一のひ孫河野典子が妻平15年8月中東アフリカ局アフリカ審議官就総合外交政策局長平18年9月16日総合外交政策局長、妻は典子外務審議官(経済)

    塩尻孝二郎

     昭和47年8月外務公務員採用Ⅰ種試験合格昭和48年慶大経卒昭和48年外務省入平10官房総務課長就平12経済局参事官就平13経済局審議官就平14欧州局審議官就平14官房審議官兼改革推進本部事務局長就平16年4月1日在米国特命全権公使平17年1月官房長就

     昭和48年8月合格

    佐々江賢一郎

     昭和48年8月外務公務員採用Ⅰ種試験合格昭和49年東大法卒昭和49年外務省入平11アジア局参事官就平12経済局参事官(総務)就平12内閣総理大臣秘書官就平13総合外交政策局審議官就平14経済局長就平成17年1月アジア大洋州局長就
     佐々江 賢一郎(ささえ けんいちろう、1951年9月25日 - )は六者協議日本政府首席代表、外務省アジア大洋州局長。岡山県倉敷市出身。琴浦中学校、広島大学附属高校を経て1974年、東京大学法学部卒業。外務省入省後、総合外交政策局審議官を経て2002年経済局長。2005年1月より薮中三十二の後任としてアジア大洋州局長就任。

    林 景一

     昭和48年8月外務公務員採用Ⅰ種試験合格昭和49年京大法卒、昭49京大法卒(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)、昭和49年外務省入平3アジア局南東アジア第二課長就平8在英国大使館公使就平11北米局参事官就平13条約局審議官就条約局長就平16年8月国際法局長就、国際法局長(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)、アイルランド大使就、アイルランド大使(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)。
     林 景一●外務省北米局参事官はやし けいいち/昭和 26 年生まれ。山口県出身。49年外務省入省。アジア局南東アジア第二課長、条約局条約課長、在英国日本国大使館公使等を経て、平成11年2月から北米局参事官に。この座談会は平成十一年六月二十二日に行われました。

     昭和49年8月合格 

    河相周夫

     昭和49年8月外務公務員採用Ⅰ種試験合格昭和50年一橋経卒昭和50年外務省入平8外務大臣秘書官就平9総合外交政策局企画課長就平10総合外交政策局総務課長就平12北米局参事官就平13在米国大使館公使就平17年1月北米局長就総合外交政策局長就
     河相周夫(かわい ちかお、1952年11月22日 - )は東京都出身。
    1975年 - 一橋大学経済学部卒業、同年外務省入省
    1994年 - 外務省アジア局南東アジア第一課長
    1996年 - 外務大臣秘書官事務取扱
    1998年 - 外務省総合外交政策局総務課長
    2000年 - 外務省大臣官房外務参事官(北米局担当)
    2001年 - 駐アメリカ合衆国特命全権公使
    2005年 - 外務省北米局長
    2007年 - 外務省総合外交政策局長。


     日本大使館経済班 公使
    河相 周夫

     
     昭和50年8月合格 

    斎木 昭隆

     昭和50年8月外務公務員採用Ⅰ種試験合格昭和51年東大養卒昭和51年外務省入平15年8月アジア大洋州局審議官就、駐米公使就(読売新聞2008年1月8日朝刊2面)。

     斎木 昭隆(さいき あきたか)参事官(50)
    外務省のアジア大洋州局参事官。
    1976年東大教養学部を卒業し、外務省入省。
    小渕恵三の外相時代に秘書官を務め、1998年の小渕内閣発足と同時に、内閣副広報官に任命された。
    New York Times誌で小渕首相が「冷めたピザ」と酷評された際に、「冷めたピザでもレンジでチンすればおいしい」と切り返したエピソードは有名。
    経済局総務参事官、人事課長をへて、2002年9月から現職。
    人事課長時代は田中眞紀子と衝突し、更迭の危機に晒される。このとき斎木は田中に「法律が分かっているのか」と詰め寄ったとか。


     齋木 昭隆(さいき あきたか)は駒場東邦中学校・高等学校、東京大学教養学部卒業後、1976年に外務省入省。アジア大洋州局審議官を務め、2006年現在は駐米公使を務めている。日本人拉致問題、核兵器開発問題交渉に携わってきた。北朝鮮への対応は、日本の官僚の中でも強硬派として知られている。妻は外務省会計課長、慶應義塾大学教授などを務めた斎木尚子。

     

     
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。